
『水曜バスケ!』名物コーナー「教えて拓馬先生」でおなじみ、元日本代表・渡邉拓馬さんの連載がスタート!
今回は渡邉拓馬さんインタビュー、パート2を公開!
──高校時代の意識と出会い
高校時代は、最初は普通に上手くなりたいと思ってやっていました。
でも、父親が大学の試合がこんな感じだとか見せてくれて、試合前のアップで音楽とか鳴ってかっこいい感じだとか、関東大学リーグが日本の大学界で強いから、そこに行けたらいいんじゃないかみたいな話をしていて。
それで2年生くらいからインターハイとか出るようになって、進学を意識しました。
そのくらいから上でもやりたいなあという意識が出てきたんです。
ちょうど2年生の時に地元で国体があったんですよ、福島国体が。
中学校2−3年から県として強化が始まっていて、ちょうど福島国体のアドバイザーコーチに、たまたま進学する拓殖大の監督が来ていました。
後の監督と中学2年くらいで初めて会ったんです。
会った瞬間に「お前は全日本になるから頑張れ」って言われて。
森下監督という今はもう勇退されている方なんですが。
プレーもそんなに見てないのにお前日本代表になるから今のまま頑張れみたいな感じで言われて。
そのまま福島国体のメンバーにも選ばれて、順調に上手くなって高校2年選抜メンバーの12人に入って決勝までいって、福島国体準優勝をしたんです。
それで日本代表ジュニアにも選ばれて、アジアで得点王になったんです。
当時ワンジージーっていうNBAにいった中国人がいたんですけど、彼らと一緒にベスト5に選ばれました。
その後、結構結果が出てきてウインターカップも決勝までいきました。
それが田臥勇太選手との決勝です。
その時、福島工業がインターハイも有力視されていて、福島工業がいくんじゃないか!って言われていたんですけど、インターハイの途中で負けてしまって。
ウインターカップに賭けようとチーム内でなりました。
それで自分はなんか調子が良くて、チームも良くて、準決勝までいって、決勝までいきました。
能代工高が強く注目されていたので、決勝が全国ネットで昼15時から放送だったんです。
出たら絶対ボロ負けするから、絶対決勝には出たくないって思っていたんです、情けない姿を全国ネットに出したくないと思っていて。
うわ、決勝行きたくねーって想いも半分、自分のプレーを魅せたい半分でやったんですけど、まあ見事に勝っちゃって。
今まで能代とやったときはポジション別でマッチアップしているんで、僕は田臥選手とマッチアップしたことが無かったんです。
でも決勝前日の夜にみんなでお風呂入っている時にキャプテンの林が、明日お前が田臥についたらいいんじゃない?っていう話になって。
チームの中で奇策みたいな。
それじゃあついてみるかってなって、それが効いたのか分からないですけど、9-0で最初僕たちがリードして。
そのうち僕が7点くらい連続で取っていて。
おぉ!みたいな感じになっていたけど、本心では絶対逆転されると思っていました。
絶対負けると思ってやっていたら、案の定20点差くらいで負けたんですけど。
その後田臥選手が9冠を取った中で決勝の試合が20点差でも、1番接戦だったはずなんですよね。
──当時の田臥選手の印象
上手いなと思っていましたけど、自分がついた時に意外だったのか、結構ミスしていたんです、1年生だったし。
だからお互い多少何か感じたことはあったのかなとは思います。
その一瞬のタイミングのずらし方は、ちょっと人とは違うなっていうのは感じてはいたんです。
マッチアップする前までは上手いな、としか思わなかったんですが、あーこれはちょっと人とは違うなっていうのはその時に思いました。
後にトヨタで一緒にやるので、その時にまた色々痛感はするんですけど(笑)
──順調に大学に進学
大学1年でユニバーシアードの代表に選ばれました。
僕はユニバーシアードに3回行っているんです、1年・3年と社会人1年目で。
3回もいった人がいなくて、多分2年に1回なので最大で出られるのは3回なんです。
なので、大学1年から代表に選ばれた人はあんまりいないんです。
大学2〜3年のときに聞いた話なんですが、田臥選手がナイキ・フープサミットに出場して。
それがナイキ・フープサミットの2、3回目なんですが、その前の回に本当は僕が選ばれていたらしいんです、ナイキの世界選抜に。
アジアで得点王になって、ワンジージーと僕がアジアから出るって話だったんですが、その話が来た時にもう拓殖大に決まっていて。
拓殖大の監督にそういう話がきたんですが、そんな訳分かんない大会に出さねえ、っていって監督が断ったらしいんです。
その時にもし参加していたら、ダーク・ノヴィツキー、マイク・ビビーとかアメリカの代表と一緒にやっていたんじゃないかと…(涙)
大学の時は大学のOBがもうJBL、NBL、トヨタとか東芝とかでやっていて。
卒業後はそっちでプレーしたいなっていうのは明確だったです。
それを社員でいくか、プロでいくかみたいな。
それをどうしようかっていうところで結構悩んでいました。
大学3年くらいから結構オファーが来ていて、そのオファーがいっぱい来ている時期にアメリカへ行って、2週間留学したんです。
そのときに本場のプレーと、大学の練習など何か所か参加して、これはちょっと働きながらやったら追いつけないレベルだと思いました。
帰ってきた時にバスケだけをする、プロ契約があるチームに移籍すると決めました。
──人生の選択について
基本的にこれまでの進学、移籍に関して自分で全部決めています。
親に多少話はしますが、決めたのは自分です。
親もそれを任せてくれたので、よかったです。
大学へ行く時も、母親は早稲田とか明治とか、結構名前のあるところに行って欲しいな〜、みたいな感じでチラっと言っていたのを聞いたことありますが、父親はお前が行きたいところに行けって言ってくれました。
自由に自分で決めさせてもらえたのは親に感謝です。
──プロになって辛かったこと
辛かったのはいきなり最初に優勝しちゃったんです。
ルーキーシーズンに全部とんとん拍子でいったので、その後はモチベーション保つのが結構厳しかったです。
目標を一気に全部達成して、代表も入って、優勝もして、みたいな感じだったので。
あとはシュートに関してはなかなか自分の納得いく感覚が掴めなくて。
練習中吐き気を感じながら、ストレスを感じながら、シューティングしていた記憶がめっちゃあります。
全然納得行かなくて。
打っても打ってもシュートが届かないっていう時もあって。
それが優勝後の、優勝できない2,3年間でそういう思いをして過ごしていました。
その後、チームにアメリカ人のポイントガードが来て、ヘッドコーチもジョン・パトリックというヘッドコーチに代わって、結構ハードな練習とアメリカ人ポイントガードに生かされたというか。
パスするタイミングとか、打つタイミングだとか、チーム一丸となってチームバスケットをする大切さみたいなものを結構学びました。
そこで自己犠牲の大切さなどを感じ始めたら、なぜか不思議とボールも飛ぶようになったというか。
自分のためじゃなくて、チームのためにみたいな思いに変わった時に、シュートのタッチが変わってきたという不思議な現象が起きて、そこからですね。
フォームも固まって、シューティングにストレスが溜まるようなことも減って、自分のスタイルみたいなものが確立したのがプロになって5年目くらいです。
──吸収する力 子供たちに伝えたいこと
今思えばそのシーン、そのシーンで結構考えていたなと思うことはあるんです。
小学校時代から、自分が足が遅いって思っていたので、そのためにはどうやったらディフェンス抜けるかなとか、一歩目を大きくしたらディフェンスを抜けるのかなとか、そういうことを小学校くらいから考えていました。
自分で考えるっていうのが結構習慣づいていたというか、当たり前というか。
点数もどうやったら取れるとか、シュートもそうですけど。
それでプロになってから、ヘッドコーチが代わったりして、このヘッドコーチにアピールするにはどこで自分のカラーを出せばいいかとか、そういうことを結構すぐ考えるほうでした。
自分で考えたから、自分に吸収するのが早かったのかなと思います。
人に言われる前に、自分で考えていたっていうのがあるので、人の話を聞いて実践するっていうよりは、自分でやって、考えて、試して、あぁ。っていうほうが多かったです。
進路とかも父親は自分で考えろみたいな。
多分その辺りから結構育ったのかなと思います。
あとは常に怒られていたから、どうやったら怒られないかみたいなのも、コーチが親じゃないですけど、どうやったら気に入られるか。
でも自分のカラーを消すんじゃなくて、そのシステムのなかでどう自分のカラーを出すか。
このシステムだったらここで自分の良さを出せるな、とか。
チーム内に折茂さんとかシュートのうまい人がいたし、能力のある桜井良太っていうのがいたんですけど、シュートは勝てないし、能力も勝てないから、じゃあどこでどうするってなったときに、数字的にはそんなに取ってないけど、流れの要所要所でワンプレー流れを変えるプレーをすれば存在感出せるとか。
そういうことを結構考えたりしていました。
バスケIQじゃないですけど、チームバスケに必要な、個人競技ではない縁の下の力持ちのような位置が自分には合っているのかなっていうのが、4年連続得点王という個人技をやっていた時期から変わってきたところです。
自己犠牲を感じて我慢の先にチャンスがあるとか、そのときに感じたことですね。
試合の始めは全然シュートが入らないんですが、最後の何秒でシュートを決めるみたいな。
そういうのも何度か経験して、最初入らないからって腐っちゃっていたら、そのチャンスも無くなるから。
自分で何度も経験して、こういう時もあるなっていうメンタルの持ち方とかも自分で結構気付いたというか。
元々そんなチャンスに強いほうじゃないなって思っていたので、そこも経験でマインドコントロールするみたいな。
そういうところが経験から成長できた部分ではあるっていう。
元々ラッキーボーイみたいな奴いるじゃないですか。
あんなタイプではなくて、経験でやっと時間帯に力を発揮できるようになったみたいなタイプだと思うんです、自分は。
だから常に、子供たちにも前向きに今置かれている立場を考えてバスケと向き合ってほしいと伝えたいです。
渡邉拓馬プロフィール:
福島県福島市 出身。
1978年10月07日 生まれ。
元バスケットボール日本代表で現在は、
「3×3」(スリーバイスリー)、
プロバスケットボールプレイヤーとしても活躍するなど、
全国でバスケ普及活動を実施中!!
instagram : @watanabe12takuma
Twitter : @Takuma_w1007
2021年6月4日公開
実は両チームのHCは僕と同じ世代。千葉ジェッツの大野HCは僕の1つ上で高校時代から試合ではマッチアップし、大学とプロでは選抜チームや日本代表で互いに切磋琢磨してきました。宇都宮ブレックスの安齋HCとは同郷であり実家が歩いて5分ほどにある関係で、小学校から大学までは常に同じチームでした。
2021年4月27日公開
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2021年4月1日公開
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2021年2月25日公開
今回、僕が注目したのは富山グラウジーズの岡田侑大選手です。番組内でも話しましたが、今季東地区を混戦にしたのはこの岡田選手が所属する富山グラウジーズだと思っています。
2021年2月3日公開
「移籍」と言う選択肢を選んだ選手の今季の活躍について、今回は注目したいなと思います。今回、僕が注目したのは琉球ゴールデンキングスの#30 今村佳太選手です。
2020年12月24日公開
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