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2019年02月13日公開 渡邉拓馬インタビュー パート①

渡邉拓馬インタビュー パート①

『水曜バスケ!』名物コーナー「教えて拓馬先生」でおなじみ、元日本代表・渡邉拓馬さんの連載がスタート!
今回からは渡邉拓馬さんインタビューを公開!
 
 
──バスケットボールとの出会い
 
出会いは、両親と姉2人の5人家族で、両親もバスケをやっていて、姉2人も僕が物心ついたときにはもうバスケをやっていました。
それで休みの日といえばもうバスケの練習で、体育館に両親と姉2人は練習に行っていて、それに僕も連れて行かれていました。
最初はバスケをやるわけでなく、コートサイドでボール遊びしているような感じでした。
そのときはバスケをやるとか全然そんな気持ちじゃなかったんですが、みんながやっていたから気が付いたらバスケをやっていました。
途中になんか照れ隠しじゃないですけど、サッカーをやるとかいう話もあったんですが、気付いたらバスケをやっていました。
蓬莱小学校の蓬莱ミニバスケットボールスポーツ少年団というところで始めたのですが、女子で初めてNBAにいった萩原美樹子さんも同じミニバス出身でいて、強かったんです。
そこから始めて、低学年は母親が教えていて、高学年は父親が教えているっていう環境でまず始まりました。
それがバスケの出会いで、スタートです。
 
 
──幼少の頃の身体、自然とバスケがそこにあった
 
小学3〜4年まではそれなりに体が大きくて、これはもう170センチぐらいはいくんじゃないか、と期待されていましたが、小6になっても結局伸びず、153センチくらいしかなくて伸び悩んでいました…
伸び悩んだ理由は全然わからないんですけど。
小6で153センチしかないのに足は27センチあったんです。
足だけでかくて、靴に履かれているような感じでした。
それでもチームの中では153センチでも大きいほうで、チームで3番目くらいでした。
高学年になったときに両親がコーチを辞めて、元々いたコーチが教えることになりました。結構スパルタなミニバスで、休みもなく毎日バスケ漬けでした。
祝日は遠征だったりで、バスケを始めてからは家族旅行とかそういう想い出は全くないです。
それが当たり前で自分も望んでいたのか、それ以外のことをしていなかったので覚えていないですが、気付けばもうそういう生活でした。
 
 
──姉2人の影響
 
長女は5歳上で、次女が3歳上。バスケの成績は自分よりもよかったです。
3つ上なので、僕が小4のときはもう卒業しちゃっていて、あまり姉弟でバスケを練習した記憶は無いです。やり始めのときに姉のバスケの練習を茶化しにいくくらい。
 
 
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──父から言われた言葉
 
バスケをやり始めてちょっと上手くなって、多少チームの中でもチャンスで出される機会が増えてきたくらいに、「お前はものにならない」って言われました、親父に…
試合のパフォーマンスとか態度とか色んなものを見て言ったのか分からないですけど。
例えば、試合中ふてくされて味方に文句言ったりとか、表情に出したりとかそういう仕草もしていたので、そこもすごく父親に怒られましたね。
その2つは今でもずっと覚えています。
 
 
──“ものにならない”の真意とは
 
父親は、自分がトップにはいけないみたいな感じの判断だったと、その当時は思ったんですが、ただよくも自分の息子にそう言うなあって感じでその当時は思っていました…
小学校のころは自分が身体能力もあるほうだとは思っていなかったので。
それに小学校時代はそんなにバスケが好きじゃなくて、やらされている感がすごかったです。
理由としては父親が試合を見に来られないときは母親がビデオを撮ってその日の夜に晩御飯を食べながら、それを見て説教を受けるみたいな日々だったので、またビデオ撮られてまた怒られるっていう意識がありました。結構びびってました…
 
 
──常に見られている感覚がある?
 
結構それが嫌で、父親が見に来た日なんて最悪でびびりまくって自分のプレーもできない感じの小学校時代でした。
だから小学校時代は大体試合出たい人!なんて言ったら、はいはいはいはい!!みたいにみんな出たがるけど、自分はその影に隠れて手を上げないタイプでした。
実力からして拓馬出ろ、みたいに結構出されていて、今日も怒られるなーって感じでやっている小学校時代でした。
だから一応卒業文集とかには全日本になるとか、プロになるって書いてあるけど、すごい好きでやった記憶っていうのがなくて。
楽しかった思い出も小学校時代は不思議と全くないですね。
 
 
──小学校のバスケの成績は?
 
全国大会の予選リーグで、愛知県の強豪校の岡崎子供教室って言うミニバスのめちゃめちゃ強いところと当たって、58対8で負けたんです。
予選で負けて、小学校は終わりです。
まあ上には上がいると感じました。
 
当時176センチとかの子供が相手チームにいっぱいいて、ダンクとかバンバンやられて。
自分は155センチくらいで小学校を卒業して、中学校に入り中2くらいからどんどん身長が伸びてきました。
身長が伸びると同時に自分がイメージするようなプレーができるようになってきて、それが中学2-3年の頃です。
その辺りから父親が見に来ている試合でも結構いいプレーができたときがあって、そのときから自分的に吹っ切れたというか。
父親が見に来ていても、何も意識せずに、自分のプレーできるじゃん!みたいな。
楽しくなってきたのはやっとそのくらいから。
中学校2年生の後半くらいから身長が伸びるのと同時に、です。
 
 
──憧れのマイケル・ジョーダン
 
マイケル・ジョーダンが好きで、ビデオを父親に買ってもらって、毎日見て真似している時期がありました。
派手なプレーを真似して。シューズもエアージョーダン履いて。
そこに憧れて練習していたのはありますね。
スラムダンクも中2、中3のあたりから始まって、タイミングよく自分のスキルと身長も伸びて、東北大会で優勝して全国中学校選手権大会もいったんです。
全国中学校選手権大会の予選で、岡崎子供教室の中学校へあがった彼等と再戦するんです。
また結局10点差くらいで負けて、城北中学校っていうところにも負けて、中学校の3年間はそれで幕を閉じました。
 
 
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──中学校時代が一つの変わり目
 
しっかりバスケを楽しめるようになり、バスケで高校へ行きたいっていう風に変わっていて、進学校と自分がいった福島工業高校の二つで迷っていました。
進学校は中学校の成績がギリギリだったので、進学したら勉強で大変なんじゃないかって中学校の校長先生に校長室に呼ばれて直々に言われて。
勉強でいっぱいいっぱいになるよりは、伸び伸びバスケをやれる工業高校へいったほうがいいじゃないかってことで、土壇場で福島工業にいくことになりました。
結局その選択が良くて、ウインターカップ決勝まで行くことになるんですが、転機と言うのは大体中学校からかな。
吹っ切れて親の目を気にせずできるようになったってことが、一番の第一次の転機になりました。
 
 
──姉の存在
 
二番目の姉(※貴子さん)は名古屋短期大学付属高校っていうところにバスケがやりたいって進学して、全国大会優勝したりもしていて、僕が中学校のころはまだ貴子の弟って言われていたんです。
貴子の弟、福島にいるらしいよ!全中に出ているらしいよ!みたいな。
高校進学するときに姉が名古屋にいたので、当時強かった愛工大名電の枠が空いているから貴子の弟どう?みたいなお情けで話がきて。
なんじゃそりゃ!と思っていかなかったんですけど。
中学時代は貴子の弟って感じで言われていました。
 
 
──お姉さんが結果を残し続けていることへのプレッシャー
 
プレッシャーにはならなかったです。
多分異性だからよかったんじゃないかとは思います。
全然気にした覚えはなくて、本当にマイペースでやっていました。
 
高校時代はどうにか上手くなって活躍したいって想いで3年間練習しました。
チーム練習が16時から19時まであったんですけど、その後19時から22時までずっと3年間ひとりでシューティングしていて。
最初はメインの体育館が19時までしか使えなくて、第二体育館に移動すればリングが使えるってことで最初はひとりでシューティングしていました、みんな帰っちゃって。
カラオケ行く、飯食いに行くとか言っていたけど、僕はその誘いを断ってシューティングしていました。
最初ひとりだったのが、卒業するくらいには部員のみんながどんどんくるくらいに、伝統みたいになっていました。
 
今でも続いているかは分からないですけどそういうのができたりとか。
大体3年生で卒業したら免許を取りにいくんですが、それも行かずに練習ばっかりしていました。
そういう練習と仲間に恵まれていたっていうのもあって、たまたま東北新人で優勝したりとか、ウインターカップ決勝までいったりしました。
 

渡邉拓馬プロフィール:
福島県福島市 出身。
1978年10月07日 生まれ。
 
元バスケットボール日本代表で現在は、
「3×3」(スリーバイスリー)、
プロバスケットボールプレイヤーとしても活躍するなど、
全国でバスケ普及活動を実施中!!
 
instagram : @watanabe12takuma
Twitter : @Takuma_w1007

ライター!拓馬先生。

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