
ラジオ版「ザ・カセットテープ・ミュージック」書き起こし
マキタスポーツ・スージー鈴木がノベルティソングを語る!(ゲスト:批評家 矢野利裕)
【2019年6月29日(土)24時~放送】
マ) 今日お送りしたいのは、日本の音楽史とノベルティソング。
ス) ノベルティソング、イエイ!
マ) ちょっと耳なじみがあまりないかと思います。一口に言うと、日本でいうコミックソングのことに当たるんですけど、ただコミックソングに限定されるものではないですね。
ス) 原義はね、大瀧詠一さんがよく使うんで調べたんですけど、「珍しさ」「目新しさ」っていう意味。日本で言ったら「珍奇な」という感じですかね。
マ) なぜ珍奇なのかということを、24時台はしていきたいなと思っております。日本のロックの中でノベルティ性のある音楽。これをスージーさんが説明してください。
ス) まずは音階です。ブルーノートっていうふうに専門用語で言うんですけど、日本に入ってきたのは割とノベルティ、コミック、ちょっとおもしろげな曲からそういう音が入ってきたという話をしたいと思います。まず1曲目、ザ・スパイダースですね。1967年にこんなおしゃれでブルージーな音楽を作っておりました。
(音源再生:『恋のドクター』)
マ) かっこいいね。
ス) 堺正章さんのシャウトがいいですよ。
(♪「注射ピュー」)
ス) 『恋のドクター』っていうザ・スパイダースの曲ですけど、ブルーノートを多用して、全編ブルーノートみたいなメロディーなんですね。(♪ギター演奏)
ス) この……
マ) 「♪ティーン」のところですね。
ス) 普通だったらこういう音は使わないんですけれども。作詞作曲かまやつひろし。スパイダースというおしゃれで先進的なロックバンドが、ブルーノートを大胆に使った。歌詞が恋だの愛だのとかいうまじめな歌じゃなくて、『恋のドクター』。「注射ピュー」(笑)。
マ) これ1967年ですか。
ス) 早いですよ。
マ) 67年の時点でこんなに黒人音楽っぽい音を聴いた当時のリスナーたちはどう思ったんですかね。
ス) 当時タイガース、テンプターズというのが人気バンドで、その前はブルーコメッツとスパイダース。ブルーコメッツはレコード大賞取った『ブルー・シャトウ』とか、割とまじめ。
マ) 「♪森と泉に」ですね。
ス) 対してスパイダースはショーアップされてて、かつエンターテイメント性に溢れている。ブルーノートとか新しい西洋音楽の手法を、愛だの恋だのはなくて「注射ピュー」みたいな諧謔性、ノベルティ性の中で導入していった。親しみやすい歌詞で、音楽はすごくソリッドで先進的というのがスパイダースの方法論。
マ) スパイダースは良家の子女の集まり、言ってみれば。
ス) 東京のお坊ちゃんですね。
マ) 遊びを知ってる人たちが、音楽を楽し気にやってるっていう感じも素敵だったんでしょうね。
ス) 最新の洋楽をそのまま提示するんじゃなくおもしろさとか、1億人に分かるような形でコーティングして出す。そこで日本のブルーノートの歴史が始まった。
マ) なるほどね。
ス) 急にロックンロールが広まったわけじゃなくて、ずっとノベルティの世界でジワジワとブルーノートが浸透していきます。次のこの曲は全然ロックンロールではないんですけど、一番はじめのリフにすごく濃いブルーノートが。
(音源再生:『ピンポンパン体操』)
マ) わあ、これ懐かしい。
ス) 1971年、フジテレビで当時大ヒット。
マ) これ冒頭のとこでしょう、ブルーノート。
(♪ギター演奏)
マ) ピンポンパポンの「ピン」ね。この怪しげな響きがなんともブルーノート。
ス) ここで出てくるのが、作曲家の小林亜星。
マ) 出た、「パッ!とさいでりあ」(笑)。
ス) 日本のノベルティ界のナンバーワン作曲家。作詞阿久悠、作曲小林亜星。
マ) すごいコンビだ。
ス) 「♪すきすきすきすき アッコちゃーん アッコちゃん すきすき」も小林亜星さん。
マ) すごいね。ブルーノートとかロックンロール的なニュアンスを、小林亜星さんという作家を通して、子ども向けに下してくれてたわけですね。
ス) ダイレクトに大人に行くんじゃなく、子どもを経由して日本に広まっていったということですね。
マ) 子どもは頭が柔らかいから。固定観念なくして、そういうところでちゃんと啓蒙するという。
ス) この曲はメロディーもたくさんあって偏執的な音で、小林亜星がめっちゃ遊んでる。一説によると、260万枚くらい売れた。童謡チャートにカウントされたんで、『およげ!たいやきくん』とかと比較はされないけど大ヒットしてる。当時の阿久悠に言わせると、キャバレーで女の子がこれでちょっとエッチな体操したくらい、世の中で広まった。
マ) 夜の盛り場とブルーノートっていうことで線が引けるわけですね。
ス) 60年代だと『伊勢佐木町ブルース』とかね。
マ) あれもブルーノートになってるんですか。
ス) 「♪ドゥドゥビドゥビドゥビドゥビドゥバ~」。
マ) あそこか。
ス) ミ♭ですね。いかがわしいエロブルーノート。
マ) 半音階っていうのが当時の日本人が聴いたときに、笑いというか気持ちがざわざわしたんでしょうね。
ス) エロとかコミカルとか、普通のヒットソングにはない感情を揺り動かすツールとしてブルーノートが使われた。スパイダース『恋のドクター』があって、矢継ぎ早に小林亜星がアニメとかCM、ピンポンパン体操「♪ズンズンズンズンピンポン」でわさわさと気持ちを揺れさせて。
マ) このあたりが日本におけるブルーノート元年。
ス) 昔、渋谷陽一さんが言ってましたけれども、「僕はロックンロールっていうのをビートルズから学びました」とかウソだと。私的に言えば、日本人は、ロックンロールは『ピンポンパン体操』で学んだ(笑)。
マ) すごいですね。
ス) そして1972年キャロルのデビューですね。キャロルはブルーノート使ってますけど、あまりノベルティ性は高くない。割とまじめにやってた。スパイダースとキャロルと同じフィリップスレーベルで、73年にデビューしたのがフィンガー5。これは子ども向けのロックロールっていうことで大ヒット。
次に日本人の隅の隅までブルーノートとロックンロールが浸透したんじゃないという、歴史のエポックとなる大ヒットしたこの曲。
(音源再生:『スモーキン・ブギ』)
ス) ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、『スモーキン・ブギ』。
マ) たまらないですよ。僕ももちろん子どもだったんでブルーノートかどうかは分からないけど、でも全編その世界っていうのはたぶん認識してました。
ス) イントロから、ロックンロールの一番代表的なリフですけれど。
マ) 小気味よくて、子ども心にもおかしなことを歌ってるのも分かるし、耳が気持ちいいっていう感触は覚えてますよ。
ス) やっぱりこのフレーズですね。「目覚めの一プク 食後の一プク 授業をサボって 喫茶店で一プク」。リズム感を出すために日本語で詰まる音、小っちゃい「っ」を多用することによって口の端に乗って気持ちいいリズムを作ってる。あと一回聴いたら忘れない、「スー パッパッ」。歌詞は不良少年がタバコを吸ってる、高校生くらいの舞台。シリアスなこと語ってるんじゃなくて、非常にコミカル。
ロックンロールというイディオムを日本に導入するときに、スパイダース、小林亜星、キャロルも少し、そしてフィンガー5、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド。子どもも含めてちょっとコミカルで、ノベルティな形で日本でロックンロールというものが浸透してきたんじゃないかという歴史ですね。
マ) 不良性の一つのアイコンとして、都市部にキャロルという存在があった。のパロディみたいな世界にダウン・タウン・ブギウギ・バンド。その時点でノベルティ性があります。
ス) ダウン・タウン・ブギウギ・バンドって名前自体がもうノベルティがある。ここから、よりノベルティ度を強くした横浜銀蝿につながっていく。日本におけるロックンロールは洋楽じゃなく、こういうところから浸透してきたんじゃないか。もっと言うと、今かけたのは全部高卒ロック。はっぴいえんどとかシュガー・ベイブとか佐野元春みたいな、イメージとしての大学卒が聴いてそうな音楽じゃなく、こういう高卒ロック、小学ロックみたいな。
マ) 町場のリアルですよ。
マ) そういうところで受け入れられていく経過はあったと思います、絶対ね。
ス) ついつい日本語ロックの始祖ははっぴいえんどという話になってくるけど、『ピンポンパン体操』も大事なんじゃないかと。
マ) そうですよ。僕なんかの小学生だって分かるんだもん。おもしろいっていうキャッチの仕方があったわけで、ノベルティソングってそういう威力がある。
マ) 私はですね、大物芸人とノベルティソングについて話していきたいなと。まずこの曲を聴いていただきたいと思います。
(音源再生:『俺は絶対テクニシャン』)
マ) 先に言います。女性の皆さん怒らないでくださいね(笑)。今のコードで測っちゃいけないですよ。これはビートたけしさん『俺は絶対テクニシャン』という曲。中古レコード屋で発見した人がいたら、今200億円で売れます(笑)。
ス) すごいな。買おう、絶対買おう。
マ) 世界の北野武さんですけどね。言わずと知れた存在、たけしさんが闇に葬ってる(笑)。
ス) 確かにあんまり語られない曲ですね。
マ) 『浅草キッド』とか名曲ありますけども、実はこういう歌、歌ってたわけです。これはノベルティソング、日本で言われているコミックソング。
当代一のコメディアン、ビートたけしさんが当時の勢いがすごかった。1980年に漫才ブームが起こって、頭角を現したのがツービート。とにかくいろいろなことに対して欺瞞をつく毒舌プラス、良識をはみだすエロネタもやっていた。そういったセンスを歌詞に反映した歌。そんなたけしさんのキャラクターと、当時一般的にも流行りつつあったテクノミュージック。テクノがいよいよ日本のマーケットの中でも受け入れられてきて、“テクノ分のビートたけし”です。
ス) 分母分子論ですね。
マ) “企画分の人格”と言いますけども、分母のほうが音楽的な様式で、その上にキャラクターや人格が乗っかって。流行りもの同士がくっ付いたっていう感じでしょうかね。
ス) 1981年くらいの最高の流行りがくっついたら、こんな曲になったと。
マ) 僕はたけしさんファンだったんで、この曲は強烈に覚えてて。
ス) 「ピコピコ パコパコ スコスコ キンキン」(笑)。
マ) 学校でも言いたくてしょうがないという悪影響がすごかった。続いてビッグ3の一角。たけしさんに続いてはこの人じゃないかと。
(音源再生:『ソバヤ』)
ス) 最後の「ソバソバ ウドンウドン ソバソバ」がね。
マ) とにかくこの曲、最後まで聴くとグルーブがすごい。タモリさん、めちゃくちゃ乗ってきてる。
ス) ぶったまげました、これ。
マ) 先ほどのパターンでいうと、これは“民族音楽分のタモリさん”。タモリさんの世界爆発ですね。無意味な言葉の、いかにもアフリカのどこか分からないけど、言葉を巧みに操りながら後ろのビートに乗せて永遠にトランスしていくような感じ。
ス) アルバム『タモリ』は本当に名盤。言葉を客観視して意味を剥脱していく感じ。異常に知的。
マ) 途中で日本語が「フロヤノニカイデ」と聴こえてくるんですけど、それが聞こえてくるとちょっと残念に思ったりする。
ス) 剥脱された意味が戻ってくるから。
マ) せっかくそっち側の変な世界に入った状態なのに、現実に戻される気がしちゃう。たぶんギリギリの調整なんでしょう。行きっぱなしだと世の中の手が離れてしまうから、たまに戻ってきてくれる。これがタモリさんワールド。完全な笑いとかではなく、ひっくり返った価値観といいましょうか。民族音楽という固定化された世界、なんとなく一面的にしか見えてないものをまったく裏側に回させて聴かせてくれるような体験で。
ス) 言ってみれば、ノベルティの最高峰。ナンセンスっていう言葉があるじゃないですか。意味というものがないんだっていう。
マ) これ全部文字起こしした人がいるんです(笑)。まじめに全部文字起こしした最後に、言ってることにほとんど意味がないって書いてある。
ス) 書き起こししなくても分かる(笑)。
マ) 本質的なおもしろさや笑ってるという状態を目指さなくても、価値の転倒をやった素晴らしい曲だと思って。爆笑するとは全然違ったツボを突かれた、初めての体験じゃないかなと思います。
マ) このコーナーの一番最後。こういうのも一つのノベルティソングとして紹介したいな。とんねるずさんで『情けねえ』。
(音源再生:『情けねえ』)
マ) 今やとんねるずさんの代表する曲としていろいろ一致しちゃってるんですけど、笑うところが一つもないみたいな感じですけど(笑)。
ス) そうなりますね、今やね。
マ) メッセージソングとして真っ当にとんねるずさんという表現者を通して、みんな時代のせいだと言ってるのがそのまんま胸に突き刺さるんです。
とんねるずさんの歴史的なことで言いますと、1985年くらい一大センセーションを起こすんです。『雨の西麻布』がすごい売れた。この曲は先ほどの公式に当てはめていうと、“ムード歌謡分のとんねるず”です。やっぱり妙なずれがあって、とんねるずの存在とムード歌謡が一致してない。つまり、ムード歌謡という企画をとんねるずが表現することによって妙な違和感が生まれるということがある。
ス) とんねるずというやんちゃなブレイクしかけの芸人がまじめにムード歌謡をやるからこそ、そこに笑いが発生したんですね。距離感がね。
マ) 距離感があったから笑いが生まれていたものだし、そのシリーズ物でやってきた延長線上に、この『情けねえ』という曲が僕はあったと思うんです。
長渕さんや尾崎さんとか強い主張を言うアーティストをパロディにしてる。ところが当時のとんねるずって存在が大きくなって、若者たちの受け入れ方は“俺たちの兄貴”だった。それが時代や日本という国にもの申してるっていう風情。NHKの紅白に出ましたが。
ス) 出ました、出ました。
マ) ゴテゴテした衣装じゃなく、ほぼ裸に白と赤のペンキを塗った状態で出る。そのパンクな精神がもの申してる感じと一致して、とても笑えなかった。それどころかめちゃくちゃ突き刺さって、興奮して感動してる俺たちがいた。
ス) 私は感動しなかったけど、大ヒットしたのは事実ですね。
マ) これが微妙で世代的なものかと思うんですけど、スージーさんの位置から見たとんねるずと、1970年生まれの僕から見たとんねるずってちょっと違いまして。ノベルティソングがあながち完全に笑いだけにいくのではなく、100分の100イコール1みたいな状態というのがあると思うんです。
ス) ありますね。
マ) 企画と人格とかが完全に一致して、もう完全に音文体一致みたいなものになっている場合がある。そうなると、ノベルティソングは笑えるものではなくなってくるという現象もある。
ス) たけしの『俺は絶対テクニシャン』、タモリの『ソバヤ』って笑えたわけですね。それぞれがまだブレイクする前だったので、距離感があった。分母と分子が。とんねるずは90年代に入ってくると大ブレイクして笑えなくなったのは、いかに大物芸人とノベルティソングの距離感が難しいかということ。旬みたいなものがありますね。
ス) この時間から外部講師として、この方にお越しいただいております。批評家、ライターでDJでもあります矢野利裕さんです。
矢) よろしくお願いします。
マ) 矢野さんの『コミックソングがJ-POPを作った』、もう名著の誉れ高いですよ。この方向で編纂するのはなかなかの作業だったと思います。
矢) 自分を振り返るともともとテレビで流れてる音楽をマネしたい、面白いなと楽しんだ実感があって。僕は文芸批評もやっているのでそれを評論的にすくいとりたいと形にしたのが今回の本です。
ス) さっきスパイダースとかダウン・タウン・ブギウギ・バンド、とんねるずとか要するにお笑い、新しくて楽しくて珍奇なノベルティソングという定義でやったんですけど、批評には載らなかった。
矢) コミックソングっていうだけで音楽としては軽んじられ、低劣なものと思われがち。音楽の歴史でいうと、ポピュラー音楽は戦後からしか始められないんですけど、ノベルティと音楽をとらえると、実は近代日本の歴史にもつながる。この本も始まりが川上音二郎 『オッペケペー節』です。
ーー
矢) 1曲目は、クレイジーキャッツでもおなじみの植木等さんの『ハイそれまでヨ』です。
(音源再生:『ハイそれまでヨ』)
マ) いやあ、いいね、これ。笑っちゃうもんね。
矢) 最初のムード歌謡っぽいところから一転して、ツイストを意識したみたいで、明るくなる。海の向こうからどんどんやってくる文化を咀嚼して自分のものとするとき一回おどけたりとか、コミックソングを一回通ってるのが、実は近代日本の音楽の歴史じゃないかと。この曲もコラージュ感があります。
マ) フランク永井とかが下敷きにあるんだね、このムード歌謡の部分はね。
ス) あとツイスト。「♪三日とあけずに」ドンツタドンタンドンタタドンタン、あそこを植木等もツイスト踊りながら歌います。
矢) そうなんです。ムード歌謡自体がモダンなんですけど、さらに新しい流行りものとしてのツイストをくっ付いて、いろいろな音楽の交通の場、ミックスされる場としてコミックソングとかノベルティソングは豊かさを持ってる。
マ) DJ以前だからね。
矢) そうですね。発想としてはすごくDJ的なミックス感を持ってます。
マ) 植木さんの「♪テナコト言われてソノ気になって」、もうガラッとあそこでスイッチする瞬間の、あの芸当はなかなかないよ! ああいうことをやる表現者いないから。植木等さんが軽薄なことをやってくれたことによって、日本は明るくなった。
矢) クレイジーキャッツももともとはみんなジャズメンだったわけで、演奏もやっぱりうまい。同じように、もともとジャズメンやバンドマンだった人たちが組んだグループとしてドリフターズがあって、聴いてみたいと思います。
(音源再生:『いい湯だな(ビバノン・ロック)』)
ス) いやあ、来ましたね。ドリフターズ。
マ) 油断できるなあ(笑)。
矢) 『いい湯だな』はカバーなんですね。もともとデュークエイセスがいずみたく作曲、永六輔作詞でコーラスグループとしてやっていて、カバーになると副題に「ビバノン・ロック」って書いてロックという打ち出し方で。1968年ですからビートルズ、ベトナム戦争があって、流行りものとしてロックがある。ロックですら定着するときには、ノベルティ、企画物として打ち出されてる。
矢) 次は、ビートルズ。ビートルズがまだ来日する前で、全貌も分からぬまま先にカバーしたらどうなるかっていう。東京ビートルズで『抱きしめたい』。
(音源再生:『抱きしめたい』)
マ) これはおもしろいわ。ビートルズ、サックスいましたっけ(笑)。これ売れる前のチェッカーズ? 藤井尚之がいたの?(笑)
矢) これ63年とか64年くらいなんです。カバーポップスが直前にあって、サックスとかホーンも入ったアメリカンポップスを日本でカバーする坂本九、弘田三枝子とか流れがあって。そのノリで海外ものとして一緒くたにされ、文脈がごちゃごちゃになりながら、結果的にものすごくオリジナリティになってる。
マ) 日本語の乗せ方、譜わりが如何ともしがたく日本語ですよね(笑)。これのリズム感というか、何とも言えない味わい。
矢) こうやって今みんなで笑いながら楽しく聴いている感じが、音楽の楽しさかなと思うから、そういう意味で本当にいい曲だなと思います。
マ) 僕この曲を一番最初知ったのって、ニッポン放送で長くやってる、ある演芸番組で紹介されたので知ったんですから。完全にそういう文脈で当時知った。
ス) ビート感がやっぱりね、ビートルズのビート感じゃないですよね。ちょっと土着的な(笑)。いかにビートルズが新しかったかですね。
マ) 今日は矢野君に登場いただいてますけど、ノベルティソングという耳慣れない言葉がまず、つまずきの要素になるかと。単に滑稽なコミックソングっていうのは、そもそも海外では言わないんですよね。
矢) 「コミックソング」っていう呼び方は日本だけで、外国だと「ノベルティソング」。このほうが若干幅広い感じ。日本でイメージされるほどお笑いに特化してるわけじゃなく、おもしろいリズムとかをやるのを含めてノベルティソング。
ス) 矢野さんの新刊でも帯に「新しい、珍しい、奇妙」とあって、ちょっと異物感、違和感も楽しむのがノベルティという意味かなと。単に笑いを目的とするのでなく。そうすると日本の曲って、ほとんどノベルティソングと解釈もできる。
矢) 新しいものを、自分なりに解釈して発揮するときに衝突とかずれとかがあって。そこにノベルティ性みたいな、珍しい、奇妙、笑えるみたいなことが入り込む。
マ) それこそ『東京ブギウギ』。服部良一さんがブギウギという音楽様式を用いるけど、当時の日本人の耳に合う感じに工夫しなくちゃいけない。メロディー上の工夫ももちろんだけど、身体表現。笠置シヅ子さんというコメディエンヌ的な才能。おどけた要素を通して受け入れられやすくなる。
矢) 笠置シヅ子が踊れる人だから、このリズムも乗り切れるんじゃないかと。戦時下にはこの踊りが軽薄で不謹慎とされていた。アメリカの敵性音楽を乗りこなす身体も統制していくというのがあって。音楽と体が結びついていて、時局に左右された歴史もある。
マ) エルヴィス・プレスリーの有名な話もあります。下半身を全部カットされた状態で放送されて。エルヴィスの体、声も身体表現とするなら、エルヴィスがやった身体表現はラジオを通して田舎のアメリカの端と端ではなく、真ん中の本当のアメリカ、そういうところにいる農場とかをやってる人たちにも届いた。やっぱり軽薄さとか、すごい悩ましい肉体みたいなものが届いた。
矢) そのプレスリーをマネした日本の中学生として坂本九がいて、笠置シヅ子が踊っていた、あのマネをしていたのが美空ひばり。というふうに、音楽の系譜はずっと軽薄さによって紡がれていて、まじめな音楽史はそのあとという感じがする。その前にマネしたい、おもしろいといった軽薄な欲求があると思います。
ス) まじめくさって、お笑いの要素が露程もないJ-POPとかね(笑)。歴史の中ではこういうのの末裔だと。大げさに言うと、東京ビートルズの末裔であると。
矢) 新しい音楽がいったん笑いを経由して入っていく。今だったらヒップホップ、あるいはラップミュージックも人気を得て親しまれてますけど、80年代日本に定着する中でコミックソングの形態をとっていたということで、スネークマンショー、名義はユー・アンド・ミー・オルガスムス・オーケストラ『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』。
(音源再生:『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』)
ス) 「♪Very famous announcer 咲坂まもる」っていいですね。
マ) いいですね。懐かしいですね、スネークマンショー。
ス) 伊武雅刀と小林克也、これラップですよね。
矢) 元ネタはアメリカのニューウェーブバンドのブロンディ、『Rapture』。『Rapture』は完全にラップをやってますし、参照元でしょう。これはニューウェーブ経由で、ラップを日本でやっている。日本でラップは認知されてないから、アナウンサーという形を借りてやる。いったん企画にしてお届けしますという音楽的な実験をお笑いとともにやったのが、スネークマンショーだと思います。
マ) 英語で言うべきところを「レッツ・ロックンロール」とかって。照れとは違うんだけど、何だろう。あの恥じらいが好きなんだよな。
ス) あそこを日本語発音にしてることで笑いという。これに前後して、ドリフの早口言葉とか山田邦子さんとか。ラップってノベルティから日本は根付いていった。
マ) 同じくらいの時期なのか。
矢) 山田邦子の「邦子のかわいこぶりっ子(バスガイド編)」も、完全に伴奏がシュガーヒル・ギャングなので明確にラップを意識しています。でも一回笑いに変えてという手続きが1個入ってる。歴史の繰り返しですね。
ス) この本も冒頭は川上音二郎『オッペケペー節』から入ってるんですけど、これも一種のラップといいましょうか、リズムがあって。
矢) 今聴くとラップっぽく響きます。
ス) お笑いとかそういうコミック、ノベルティ性と日本語ラップというのは実に相性がいい。
矢) それを相当意識的にやったのが、やっぱりスチャダラパーだと思うんです。この曲は歌詞に演芸からの引用があり、スネークマンショーとかラジカルガジベリビンバシステムとかの影響もあり、お笑いの文脈を意識している。スチャダラパーで、『スチャダラパーのテーマPt.2』。
(音源再生:『スチャダラパーのテーマPt.2』)
ス) かっこいいですね。
矢) ブレイクビーツでヒップホップの正統であることを示しつつ、引用はトニー谷やクレイジーキャッツ。演芸、コメディと本格的なヒップホップの両方を意識しています。本人たち自身がお笑いファンで結果的にか、戦略的にか、お笑いとして受け入れられつつ音楽的には新しいことを示した。
マ) 僕は同世代だったんで、大いに意識した存在。僕ら世代のネタ、つまりサブカルチャーで、テレビでいろいろ見てきたものをそのまんまネタにしてるわけじゃない。トニー谷とかリアルタイムで間に合ってないけど、今の言葉で言うとオワコン化してるものを持ってきてる手つきがズルいと思った。ズルいにはかっこいいという意味も含むけど、素晴らしいなと思った。ちょっとC調、抜けてる感じ、そういう身体表現。声も張らない、脱力した感じのたたずまいが、おもしろかった。ノベルティだったと思います。
ス) 当時フジテレビの深夜とかで、かとうれいこが司会やってる番組ありました。今でも録画して保存してるんですけど、この曲を『太陽にほえろ!』の主題歌に乗せて、♪ダッダッダーダラ。80年代末、90年代初頭に『太陽にほえろ!』って、オワコンだった。それを客観視して、ネタとして作ってサンプリングするおもしろさ。
矢) その手つき自身がアメリカのヒップホップの、忘れられたソウルとかジャズのレコードで新しい曲を作ることへのオマージュ、その日本版。当時の同時代の人たちは、アメリカの古びたソウルを使ってる人も多かったけど、そのままやるんだったら、むしろクレイジーとかじゃないのという手つき。
マ) ちゃんと解釈があるよね。
ス) 「スチャダラパー」というネーミング自体が、そういう姿勢ですよね。
マ) スーダラ。
矢) もともと宮沢章夫さんの舞台の「スチャダラ」から取って、「スチャダラ」自体がスチャラカ社員とスーダラ節のミックスなので、コメディの文脈は色濃いです。
ス) あと声がいいですよね。
マ) 声のキャラクターというのは重要。この型番は、さっきの脱力唱法とも関係がある。脱力って、所ジョージさんとかに僕の中での原点があったんですけど、所さんにしてもノベルティソングで、表現方法は近いかも。僕ら世代で新たに出てきた歌い手として、スチャダラパーの唱法といいましょうか、表現の仕方、脱力系はちょっとインパクトありました。
ス) 滑舌がよく、言葉が入ってくる。いとうせいこうさんとスチャダラパーのラップっていうのは言葉が入ってくる。
ス) それまで桑田佳祐さんとか佐野元春の、言葉をいかに歪めていくかっていう歴史の中で。今のも歌詞が全部聞き取れますからね、『スチャダラパーのテーマ』とかね。
マ) 言語の不明瞭さがかっこいいとかおもしろいっていう時代もあったけど、この時代になると、やっぱりラップだし、言葉を伝えてなんぼっていうところもありますよね。
ス) 意味が入ってきますね。
マ) 意味が聞こえたうえでビートに乗っかって、その明瞭さと気持ちよさもあった。
ス) 当時、聴いていました? リアルタイムですか、スチャダラパー。
矢) 『今夜はブギー・バック』が小学生のときテレビで流れていて、いいなと思って聴いてました。
ス) 矢野さん、何歳なんですか。
矢) 僕は83年生まれの35歳です。
ス) お若いのに、よく明治時代から調べましたね。
マ) これ書いてないけど、第1巻だと思ってますから。まだまだ。
矢) 『今夜はブギー・バック』をテレビからって言いましたけど、オマージュとかサンプリングされてるものからどんどん曲を掘っていって、その履歴を本にまとめたところはあります。これが元ネタなんだとどんどんやって、それを強引に歴史化してまとめたのがこの本という感じ。
ス) 別のご著書で『ジャニーズと日本』という新書があるんですけど、これも詳しいですよね。
マ) なかなかすごい本ですよ。
ス) 郷ひろみの『恋の弱味』って曲をこんだけ押してるのは、私と矢野さんだけですよね。 『恋の弱味』原理主義。
マ) では、もう一ついきますか。
矢) マキタさんがいる前であれなんですけども、やっぱりこの本はマキタスポーツさんという人の存在はすごく大きくて。
マ) いやいや、ありがとうございます。取り上げてくださって。
矢) この本の一番最後はマキタスポーツさん。マキタさんのライブや音源を聴いて、音楽は、やっている人の身体とか声に戻ってくると思うんですよ。
矢) 僕らは頭でっかちに、音楽を通してアーティストの内面や考えを受け取って、それに感動してる部分があるのだけど、その手前で、メロディーとかリズム、体の動きに乗せて伝わってくるものがあるということを、マキタさんに対してすごく思ったんです。
必ずしもアーティストの自我みたいなものが中心ではない音楽の感動とか形があると思ったとき、個人的に大好きな、「水中、それは苦しい」というバンドがありまして。ジョニー大蔵大臣という方がボーカルで、すごいおもしろい。けど感動しちゃう。この感動の形はほかのジャンル、表現では得難いなと思う。水中、それは苦しい『まじんのおのようこ』。
(音源再生:『まじんのおのようこ』)
ス) 何ですか、これは(笑)。
矢) タイトルがいいですよね。水中、それは苦しいは最初、すごい笑いながら聴くんですけど、2周目にものすごい感動してるっていう不思議な現象が僕には起こって。
マ) 僕も昔から友人ではあるんですけど、不思議な感覚は分かります。彼らのライブ聴いていただいたら分かると思います。
ス) これを歌ってらっしゃるのが、ジョニー大蔵大臣(笑)。へー、そんな方がいるって初めて聴きました。
マ) バイオリンはセクシーパスタ林三という名前です。アナーキー吉田がドラムです。
矢) マキタさんの『十年目のプロポーズ』を、最初は因数分解された要素を聞いて、おもしろく聴いてるんだけど、2週目に来たら感動しちゃうという、そういう感覚に似てる。
マ) アーティストって自分語りとか、アーティストサイドが物語事を売ろうとして、やたら語って売る。だけど、それがなかった時代ってあったじゃないですか。あるいは限られていた時代。商品にそういったものとかなくて、曲のよさだけ、詞のよさ、メロディーのよさ、アレンジのよさくらいしか世の中と接点がなかったときの、言い訳のない音楽だった時代に比べると、途中からはメディアが発達したおかげで、アーティストが言い訳とか物語を付加しすぎて。
矢) 2万字くらい補足する感じ。
マ) あれがあったことによって、大事なものがなくなってっちゃったということも一つあるじゃないですか。そのときには僕、ノベルティソングの果たした役割というか、コミック的なつながりで世の中に伝わるということは、すごい重要だったような気もするんですけどね。
ス) 2万字インタビューされないミュージシャンたちが、今日は。
マ) だってさ、林家三平のネタじゃないけど、「今のは何がおもしろかったっていうと」なんていうことなんか言えないじゃないですか。
ス) 言えないですよね。「『まじんのおのようこ』とは」、しゃべったら野暮ですよね。
マ) 野暮ですもんね。
ス) 今日の一番の発見は僕は、やっぱりノベルティソングの定義として、『ROCKIN’ON JAPAN』の2万字インタビューに呼ばれないミュージシャンたちの音楽っていう(笑)。腹落ちしました。
マ) やっぱ、なんでしょうか、その作品自体でしかつながり合えないっていうことを使命とした音楽たちっていうのあったと思うんですね。だんだんそれがなくなってきてる。また、今のこの時代だとちょっとまた、マスコミ、メディア、ロックジャーナルの意味とかも全然変わってきてるんでね、またノベルティソングとか、ちょっと問い直して世の中に紹介し直すことで、何か新たなことができるんじゃないかなという可能性も感じますよ。
ス) だから、そういうノベルティソングを掘っていくのが矢野さんのこれからのお仕事でもありましょうし、もしかしたら「ザ・カセットテープ・ミュージック」という番組も、そういう役割を持ってるかもしれませんね。
マ) というわけでございまして、今回、特別講師、矢野さんも来ました。お相手はマキタスポーツと。
ス) スージー鈴木と。
矢) 矢野利裕でした。
マ) またどこかでお会いいたしましょう。
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